本を描く日本画家-花岡哲象 資料館2


 
 
花岡哲象資料館  1983(32歳)~1993(43歳)
   
 
 1983(昭和58)年 32歳ー33歳




№86 バセラ・マンダラⅠ 50号(112.2×112.2㎝) 
  水性キャンバス、アクリル・色鉛筆



№87 バセラ・マンダラⅡ 50号(112.2×112.2㎝)絹本


1月、スペイン美術賞展(第2回日本・スペイン現代絵画トリエンナーレ、
   バルセロナ市立ヴィレイナ宮殿美術館)入選(ベスト50)
        (№85 パールネット・スクリーン) 
3月、春季創画展入選 (№87 バセラ・マンダラⅡ)
4月、第1回上野の森美術館絵画大賞展入選
        (№56 水と花のマーヤⅢ)
   グループ展「穹18人展」(ギャラリー悦) JYAKUSEI賞 
        (№79 二月の朝)
5月9日、祖母花岡とく他界(享年92歳)
10月創画展入選 (№88 水晶花)
11月9日12時20分、長男清敬 誕生 
12月、「東洋画の宇宙観(上)」発表
     (聖徳学園短期大学研究紀要)
 
1983.10月 創画展会場にて

№86 バセラ・マンダラⅠ 50号(112.2×112.2㎝) 
       水性キャンバス、アクリル・色鉛筆(2月)
№87 バセラ・マンダラⅡ 50号(112.2×112.2㎝) 絹本(3月)
        春季創画展入選(1983年)
 №88 水晶花  120号(165.3×175.3㎝) 木綿布(10月)
         創画展入選(1983年)
№89 光さす時 30号(91×57㎝) 木綿布(12月)
 

 №88 水晶花  120号(165.3×175.3㎝) 木綿布

 1984(昭和59)年33歳ー34歳


№90 ラナンキュラスⅠ  50号(111.3×111.3㎝) 木綿布


№91 ラナンキュラスⅡ 50号(116.7×82.5㎝) 木綿布


 №92  光さして花は舞い…Ⅱ 80号(145.5×141㎝) 木綿布
3月、第4回東京セントラル美術館日本画大賞展入選
            (№79  二月の朝)
    春季創画展入選(賞候補) (№90 ラナンキュラスⅠ)
5月、第2回上野の森美術館絵画大賞展入選
            (№92 光さして花は舞い…Ⅱ)
7月、「メビウス気流法」御嶽山セミナーに参加する。
      初めて坪井繁幸(後香譲)師にお会いし、以後長い御縁をいただくことになる。
8月、蘇東成老師の八卦掌講座
    を受講し始める

12月、「東洋画の宇宙観(下)」発表
  (聖徳学園短期大学研究紀要)
同論(上・下)は論説資料保存会「中国関係論説資料」に採録される

 1984.6月
清瀬の林にて
 

№90 ラナンキュラスⅠ  50号(111.3×111.3㎝) 木綿布(3月)
       春季創画展入選(1984年)
       諏訪美術展入賞(第40回記念賞1987年)
       市立岡谷美術考古館寄贈(2015年)
№91 ラナンキュラスⅡ  50号(116.7×82.5㎝) 木綿布(4月)
       第3回上野の森美術館絵画大賞展入選(1985年)
       市立岡谷美術考古館寄贈(2014年)
№92  光さして花は舞い…Ⅱ 80号(145.5×141㎝)木綿布(5月)
       第2回上野の森美術館絵画大賞展入選(1984年)
       市立岡谷美術考古館寄贈(2015年)
№93  黄光花  120号 木綿布(10月)


№93  黄光花  120号 木綿布


 1985(昭和60)年34歳ー35歳

 4月、春季創画展入選  (№94 春に舞う花)
 5月、第3回上野の森美術館絵画大賞展入選 
         (№91 ラナンキュラスⅡ)  
 6月、第7回個展(6月3日~9日望月画廊 東京銀座)
    久富貢、三木多門、三輪福松の各先生、山種美術館の方、
    坪井繁幸(メビウス気流法)先生に御高覧いただく。
   聖徳学園短期大学学外研修北海道旅行(6月23日~30日)
 9月、長野県展出品受賞(信州美術会賞) (№81 窓辺)

 10月、11日母方の祖母武井ちか他界。享年86歳
     
「色づける柿ながめつつ亡き母の
      浮かびては消ゆ在りし日のこと」(母の歌)
 11月、メビウス気流法の定稽古に通い始める。 
 

№94  春に舞う花 50号(116.7×116.7㎝) 木綿布(4月)  
№95  春幾度(はるいくたび) 100号(172×166.7㎝) 木綿布
この絵は1987年8月に手をいれて50号(166.7×76㎝)の作品とする。 
№96  春巡(しゅんじゅん) 50号 木綿布
№97  芙蓉  SM 木綿布 個人蔵
№98  芙蓉  3号 木綿布 個人蔵
№99  牡丹  10号 紙本
№100
 芙蓉  SM 木綿布 個人蔵
№101  片栗花 3号 木綿布 個人蔵
№102  片栗花 4号 木綿布 個人蔵
№103  バラ  10号 絹本 個人蔵 
 
 
 
 1985.6月 第7回個展 望月画廊 東京銀座  


 1986(昭和61)年35歳ー36歳



№108 春に咲く花   3号 絹本 


№109 春に   3号 絹本
 


 №110  牡丹   6号 絹本


№111  暮れゆく時  3号 絹本


№113  牡丹   6号 絹本 


№114  芙蓉   3号 絹本


 №115  朝顔   6号 絹本

この年より創画展出品を休むことにしたが、再び出品することはなかった。
伊藤真愚先生、関口研二先生、宮坂祐次氏(画廊宮坂)との御縁が生じた。東洋医学と禅の伊藤先生には多大な御教示をいただいたが早世された。
書の関口先生は生涯の師となり、言葉に尽くせぬ御恩を賜ることになる。私が落款に用いる印は関口先生の御作であり、すべて下されたものである。その数は20点近い。
宮坂氏には無所属になった私を企画展によって以後長く支えていただいた。画家としての立場を築いて下さった恩人である。
11月、第8回個展(11月30日~12月6日 画廊宮坂 東京銀座)
   初めての企画展、入場者数252名。
12月8日夜7時、次男慧宙誕生
      
第8回個展 画廊宮坂 東京銀座  御柱祭

          蝶
人影のない田舎の駅の
朝陽に反映(ひか)るプラットホームに
白い蝶は横たわる
惜しみない高貴な光を
存分に浴びて浄められ
さざめく湖面のようなホームに
あなたは眠っている
コンクリートの粒々がまばゆい波光のようだ
  …長い影を伸ばす半ば枯れたコスモス
   キラリ蛇行する線路
   霜の降りた田を縫う清流(せせらぎ)
   彼方に煙るうす紫の山並
全てを下に
再び光へと
ただ無限の粒のひとつへと
あなたは今朝 還ってゆく
限りない蒼天の高みへと
あなたは今 昇ってゆく
           1986年11月22日 甲斐路にて


№104 光の朝  60号(132×111.9㎝) 絹本 (3月)
№105  ポピー  3号 絹本 (3月)
№107  片栗花  6号 絹本 (3月)
№108 春に咲く花   3号 絹本 (4月) 個人蔵
№109 春に   3号 絹本 (5月) 個人蔵
№110  牡丹   6号 絹本 (5月)  個人蔵   
№111  暮れゆく時  3号 絹本(6月) 個人蔵
№112  芍薬花  40号(106.5×82㎝) 絹本 (6月)
№113  牡丹   6号 絹本 (7月) 個人蔵
№114  芙蓉   3号 絹本 (9月) 個人蔵
№115  朝顔   6号 絹本 (9月) 個人蔵
  
№116 諏訪湖の朝陽  6号 絹本 (9月) 個人蔵  
№117  向山夏景  6号 絹本 (10月) 個人蔵    
№118  諏訪湖の朝  8号 絹本 (10月) 個人蔵
№119  諏訪湖の朝陽  6号 絹本 (11月) 個人蔵
№120  裏山の夕陽   3号 絹本 (11月)
№121  諏訪湖の花火  6号 絹本 (12月) 個人蔵



 №117  向山夏景  6号 絹本


 №118  諏訪湖の朝  8号 絹本


№121  諏訪湖の花火  6号 絹本 

 1987(昭和62)年 36歳ー37歳




№122 光満ちる朝 60号(132×111.9㎝) 絹本



№126 火生 80号 絹本 


2月、岡谷市庁舎に作品寄贈 (№81 窓辺) 
3月、初めての中国大陸旅行 (25日~29日、上海-蘇州-無錫-杭州)
6月、第40回諏訪美術会展にて第40回記念賞受賞
        (№90 ラナンキュラスⅠ)
8月、グループ展「無何有」(3日~8日文芸春秋画廊 東京銀座)
10月、30日、祖父傳一他界。享年99歳。


中国旅行

無何有展にて、久富貢先生と

謝恩会 帝国ホテル

№122 光満ちる朝 60号(132×111.9㎝) 絹本(2月)
№123 牡丹 8号(48×42㎝) 絹本軸装(3月) 個人蔵
№124 赫炎 50号(116.7×112.2㎝) 絹本(7月)
        平成27年6月に岡谷美術考古館に寄贈
№125 牡丹 8号 絹本(7月) 個人蔵
№126 火生 80号 絹本(12月)
№127 片栗花 6号 絹本(12月)個人蔵
№128 牡丹 6号 絹本(12月) 個人蔵)

 


№124 赫炎 50号(116.7×112.2㎝) 絹本

 1988(昭和63)年 37歳ー38歳


№130 朝顔 8号 絹本


№133 麗春花 6号 絹本軸装


 №134 牡丹 8号 絹本


 №135 牡丹 10号 絹本軸装


 №137 麗春花 10号 絹本軸装


 №138 牡丹 10号 絹本軸装


 №139 朝顔 10号 絹本


 №141 光のひなげし 40号(113×82.4㎝) 絹本


№146 麗春花 10号 絹本 
8月、第1回上野の森美術館「日本の自然を描く」展 入選
          (№140 一光一雨)
    第9回個展 (7日~10日 岡谷市民会館ホワイエ)
8月、9月、12月 月刊ボザール8,9,12月号(№128,129,132)に記事掲載 「絵絹による線描とぼかし」 
12月、第10回個展 (4日~10日 画廊宮坂 東京銀座)
      「いつの日か天光を虹色に変えて人々をうるおす、くもりなきプリズムになりたいと思います」
   ――8月26日、伊藤真愚先生への御礼状より
       第9回個展 案内状         

             案内状裏      
第9回個展 岡谷市民会館ホワイエ
   

ボザール掲載記事
 №128より
 №129より
 №132より
第10回個展案内状



№129 牡丹 6号 絹本(1月) 個人蔵
№130 朝顔 8号 絹本(1月) 個人蔵
№131 麗春花 3号 絹本(1月) 個人蔵
№132 朝顔 6号 絹本(2月) 個人蔵
№133 麗春花 6号 絹本軸装(2月) 個人蔵
№134 牡丹 8号 絹本(3月) 個人蔵)
№135 牡丹 10号 絹本軸装(3月) 個人蔵
№136 桃花 SM 絹本(3月) 個人蔵
№137 麗春花 10号 絹本軸装(4月) 個人蔵
№138 牡丹 10号 絹本軸装(4月) 個人蔵
№139 朝顔 10号 絹本(5月)
№140 一光一雨 10号 絹本(6月)
        上野の森美術館「日本の自然を描く」展 入選
№141 光のひなげし 40号(113×82.4㎝) 絹本(7月) 個人蔵
№142 朝顔 10号 絹本軸装(8月) 個人蔵
№143 諏訪湖朝陽 50号 絹本(9月)
№144 芙蓉 10号 絹本(10月) 個人蔵
№145 芙蓉 10号 絹本(10月) 個人蔵
№146 麗春花 10号 絹本(11月) 個人蔵
№147 片栗花 6号 絹本(11月) 個人蔵
№148 麗春花 3号 絹本(12月) 個人蔵



№143 諏訪湖朝陽 50号 絹本






 1989(平成元)年 38歳ー39歳


 
   №153 黄山図譜(二) 始信峰銀花
 50号 絹本銀裏箔


 

№154 牡丹  6号 絹本




№157 麗春花  3号 絹本


3月、第1回中国黄山旅行(10日~28日)
   あこがれの仙境、黄山への初めての旅である。すっかり魅せられて、以後幾度も行くことになった。復旦大学に留学中のNさんに大変お世話になる。
7月、「超意識之会」入会
8月、第2回無可有展(21日~26日 文芸春秋画廊 東京銀座)

10月、カルチャーセンター(「東急セミナー」東京渋谷)で絹本講座を持ち、
   指導を始める。受講生の幾人かは生涯の御縁となる。
11月第2回中国黄山旅行(10日~19日)
  孔子の末裔である孔秋英さんとの御縁が生じ、以後何かと御世話になる。 

№149 旭光凍瀑図 80号(143.7×82.5㎝) 絹本(2月) 
№150 諏訪湖の朝陽  6号 絹本、個人蔵(3月)
№151 諏訪湖の朝陽  6号 絹本、個人蔵(3月)
№152 黄山図譜(一) 遠山夕照 80号(143.7×82.2㎝)の二枚組 絹本(6月)
№153 黄山図譜(二 ) 始信峰銀花 50号(114×82.2㎝)絹本銀裏箔(7月)
         平成26年7月、岡谷美術考古館に寄贈
№154 牡丹  6号 絹本、個人蔵(8月)
№155 諏訪湖朝陽  6号 絹本、個人蔵(8月)
№156 麗春花  3号 絹本、個人蔵(8月)
№157 麗春花  3号 絹本(9月)
№158 麗春花  3号 絹本、個人蔵(9月)
№159 朝顔  10号 絹本、個人蔵(10月)  
№160 黄山図譜(三) 奇峰湧霧  100号(175×82㎝)絹本(10月)
№161 芙蓉  8号 絹本、個人蔵(11月)  
 
 


№161 芙蓉  8号 絹本

 1990(平成2)年 39歳ー40歳



№162 黄山図譜(四) 光明頂旭日  
60号(142×68.7㎝)絹本



 №163 片栗花  3号 絹本


 №166 牡丹  10号 絹本軸装



№172 朝顔  10号 絹本
 



№173 芥子  6号 絹本



 №174 芙蓉  8号 絹本
2月、江本勝先生(後に波動理論で国際的な著名人となられる)との
   御縁を生じる。
5月、諏訪展の審査員となる。

  同展に「№162 黄山図譜(四) 光明頂旭日 60号」を出品する。
8月、24日~26日、新座観音神護院(山路晴峰師)の出羽三山入峰修行
   に参加する。

10月、長野県展に「№171 黄山図譜(七) 霧中始信峰 50号」を出
   品する。
  5日~10日、第1回旦明会展(あか松ギャラリー、東京世田谷)
   東急セミナーの生徒の皆さんのグループ展であり、私も4点
   出品する。


№162 黄山図譜(四) 光明頂旭日 60号(142×68.7㎝)絹本(1月)
№163 片栗花  3号 絹本、個人蔵(2月)
№164 片栗花  8号 絹本軸装、個人蔵(3月)
№165 黄山図譜(五) 旦明清涼台 50号(116.7×69㎝) 絹本(3月)
      絵の縦横の比例に黄金比用い始めた最初の作品である。
      以後、多くの作品にこれを用いるようになる。
№166 牡丹  10号 絹本軸装、個人蔵(3月)
№167 黄山図譜(六) 春山落暉 60号(144.8×64.9㎝)絹本(5月)
№168 芙蓉  6号 絹本、個人蔵(6月)
№169 鉄線花  6号 絹本(6月)
№170 朝顔  6号 絹本、個人蔵(6月)
№171 黄山図譜(七) 霧中始信峰 50号 絹本(7月)
      平成26年7月、岡谷美術考古館に寄贈
№172 朝顔  10号 絹本、個人蔵(8月)  
№173 芥子  6号 絹本、個人蔵(8月)
№174 芙蓉  8号 絹本、個人蔵(10月)  
№175 黄山図譜(八) 雨過ぎて霧起こり雪残りて多少
             60号(142×82.2㎝ )絹本(11月)
№176 朝顔  12号 絹本、個人蔵(12月)  


 

№171 黄山図譜(七) 霧中始信峰 50号 絹本




 №175 黄山図譜(八) 雨過ぎて霧起こり雪残りて多少
   60号(142×82.2㎝)絹本




 №176 朝顔  12号 絹本

 1991(平成3)年 40歳ー41歳




№177 牡丹  6号 絹本裏金箔



№178 黄山松(一) 
15号(64.2×39.6㎝)絹本裏金箔
 

 

№179 黄山図譜(九) 四松、霧天に陽光を感ず 
80号(145×64.9㎝)絹本



№180 諏訪湖冬朝  50号(116.4×82.2㎝)絹本



№183 芥子  6号 絹本

 

№184 牡丹  6号 絹本

 

№185 秋気  8号 絹本軸装
2月、セリストン研究所に御縁あり、8月まで通う。
4月、聖徳大学の同好会「体術・太極拳同好会」の名称を「氣と体術
   同好会」に改める。後に一緒に氣の研究活動をすることになるYさんの能力を見出す。
4、5月、「月刊ボザール」4月号(№160)、5月号(№161)に
    「絹本に黄山を描く」(前編・後編)が掲載される。
8月、第11回花岡哲象個展—絹本に描く花と黄山
         (8/25~31 望月画廊、東京銀座)
   
  
 

9月、「アート・トップ」(№124)に「絹に描く 5」として記事掲
  載。(「渡辺絵絹」企画) 同記事により、画商の渡辺勝真氏(東京堂画廊、後に独立して渡辺美術)との御縁を生じ、以後20数年にわたりお世話になることになった。
10月、「氣」の総合的な研究団体「VTT研究会」(矢吹哲朗会長)
   に入会(10月3日)以後、精神生活から実生活にわたり多大な影響をうけることになる。
11月、第12回花岡哲象個展—絹本に描く花と黄山
    (11/3~17 ギャラリーゑぎぬ 岐阜)
  
 

№177 牡丹  6号 絹本裏金箔、個人蔵(1月)
№178 黄山松(一) 15号(64.2×39.6㎝)
               絹本裏金箔、個人蔵(1月)
№179 黄山図譜(九) 四松、霧天に陽光を感ず 
               80号(145×64.9㎝) 絹本(3月)
   「アート・トップ」に掲載され、渡辺勝真氏との御縁を生じた作品として思い出深いものであり、自身でも気に入って手放さず、長く自宅客間を飾ることになる。
№180 諏訪湖冬朝  50号(116.4×82.2㎝) 絹本(4月)
       平成27年6月、岡谷美術考古館に寄贈
№181 片栗花  20号(44.5×73㎝) 絹本、個人蔵(5月) 
№182 黄山図譜(十) 蓬莱三島(一) 
          80号(145.5×65㎝) 絹本(7月)
№183 芥子  6号 絹本、個人蔵(8月)
№184 牡丹  6号 絹本、個人蔵(8月)
№185 秋気  8号 絹本軸装、個人蔵(9月)
№186 秋晨  6号 絹本軸装、個人蔵(9月)
№187 秋晨  80号(145.5×65.1㎝)絹本、
             平福寺(岡谷市)蔵(12月)  


 

№182 黄山図譜(十) 蓬莱三島(一) 
80号(145.5×65㎝)絹本



№181 片栗花  20号(44.5×73㎝) 絹本



№187 秋晨  80号(145.5×65.1㎝)絹本 


 1992(平成4)年 41歳ー42歳


№188 芥子 20号(73×45.1㎝)絹本


№193 朝光諏訪之湖 80号(145.5×65.1㎝)絹本


№195 秋皎(しゅうきょう)  
50号(116.2×71.8㎝) 絹本
 


№196 芥子  10号(53×40.9㎝) 絹本
大学の「氣と体術同好会」の活動内容が、Yさんの能力の開花を得て、氣の研究の傾向を強めてゆくことになり、神秘図形を授かったりするようになる。
6月、「第2回ゑぎぬ会日本画展」出品。

    6月20日~7月5日、ギャラリーゑぎぬ(岐阜)。
8月、「氣と体術同好会」御嶽山合宿(8月3日~5日)、メンバー9名。
10月、第3回黄山旅行(10月4日~12日)
     「氣と体術同好会」のYさんとHさんが同行する。

    今回も孔秋英さんの御世話になる。
    御嶽山合宿 
 
黄山丹霞峰にて
第3回黄山旅行

 
黄山始信峰にて
 
屯渓にて
        

12月、御嶽山合宿(12月26日~28日)
     哲象、清敬(長男)、Yさん、Hさんの4名。
     「七代の滝」にて滝行。

№188 芥子 20号(73×45.1㎝)絹本(1月)
№189 芥子  3号 絹本、個人蔵(1月)
№190 片栗花  8号 絹本、個人蔵(1月)
№191 牡丹 20号(72.6×45㎝) 絹本、個人蔵(2月)
№192 初秋  10号 絹本、個人蔵(2月)
№193 朝光諏訪之湖 80号(145.5×65.1㎝)絹本(4月)
№194 牡丹  12号(45.7×60.5㎝) 絹本、個人蔵(5月)
№195 秋皎(しゅうきょう)  50号(116.2×71.8㎝) 絹本(6月)
№196 芥子  10号(53×40.9㎝) 絹本、個人蔵(7月)
№197 牡丹 6号 団扇形 絹本、個人蔵(7月)
№198 紅白芙蓉図  50号(112.2×116.7㎝) 絹本(9月)  
№199 牡丹  8号 絹本、個人蔵(10月)
№200 芥子 3号 絹本、個人蔵(10月)  
№201 黄山図譜(十一) 夢筆生花 
           20号(73×45.1㎝ )絹本、個人蔵(11月)

 
№199 牡丹  8号 絹本



 №197 牡丹 6号 (団扇形)絹本

 1993(平成5)年 42歳ー43歳



№202 黄山図譜(十二) 明星煌きて吾が心を射る時 
80号(145×65㎝) 絹本


№203 黄山図譜(十三) 雲海孤松  20号(45.1×73㎝)絹本

 

 №204 黄山図譜(十四)
朝陽は霧天に霞み、雫は松梢に光る    
80号(145.5×65㎝) 絹本


 №205 牡丹  20号(45.1×73㎝) 絹本   


№211 朝顔蜻蛉 10号(42.9×53㎝) 絹本軸装


№212 朝顔蜻蛉 15号(39.7×64㎝) 絹本


 №215 瓜花蜻蛉図 8号 団扇形 絹本


 №216 二瓜蟷螂図 8号 団扇形 絹本


 №219 六月の屈斜路湖 20号(45.1×73㎝) 絹本


 №221 黄山図譜(二十) 黟(い)山清響80号(82×148.2㎝)絹本 
1月、VTT研究会の御縁で「一二三神示」の存在を知り、以後座右の
   書となる。
  31日、初めて麻賀多神社、天之日津久神社に参拝する。メンバーは、家族(のりこ、清敬、慧宙)と「氣と体術同好会」会員4名(Yさん他)
3月、「第2回旦明会展」2日~7日、ギャラリーコーノ(東京渋谷)。   
   東急セミナーのメンバー7名によるグループ展。
3月をもって、3年半続けた東急セミナーの「絹本による日本画講座」を終了する。以後は有志による勉強会を指導する形となる。
18日、Yさんを通じ、VTT研究会の形式を借りて天之日津久神社の御神示を受ける。
6月、聖徳大学学外研修〈北海道〉、7日~13日。
8月、「氣と体術同好会」御嶽山合宿、メンバー8名に清敬。
9月、幣立神宮・高千穂神社(九州)参拝旅行。15日~18日。
   メンバーはYさん・Hさん。YTT研究会の御縁である。この頃には「一二三祝詞」の節を自得しており、以後毎日唱えるものとなる。
12月、真澄田神社(愛知県)参拝。25日、メンバーはYさん、Cさん。
   昨年の秋から清敬(長男)、慧宙(次男)との体術の稽古を始めたが進歩はめざましく、清敬の気の能力は向上し、慧宙はオーラ視が出来るようになる。のりこは弓道を始める。絵の方は制作点数21点と充実した年となる。
第2回旦明会展 (3月)
氣と体術同好会(1月)
 高千穂神社にて (9月)
御嶽山合宿(8月)

№202 黄山図譜(十二) 明星煌きて吾が心を射る時 
         80号(145×65㎝) 絹本(1月)
№203 黄山図譜(十三) 雲海孤松 
         20号(45.1×73㎝)絹本,個人蔵(3月)
№204 黄山図譜(十四) 朝陽は霧天に霞み、雫は松梢に光る 
         80号(145.5×65㎝) 絹本(2月)
№205 牡丹  20号(45.1×73㎝) 絹本、個人蔵(3月)
№206 片栗花 サムホール(22.7×15.8㎝) 絹本、個人蔵(3月) 
№207 霧中旭光 8号 絹本、個人蔵(3月)
№208 黄山図譜(十五) 雲海孤松(二) 50号 絹本(4月)
№209 桜花柳色  20号(73×45.1㎝) 絹本、個人蔵(5月)
№210 黄山図譜(十六) 谷深雲湧 
         50号(116.7×72.1㎝) 絹本、個人蔵(7月)
№211 朝顔蜻蛉 10号(42.9×53㎝) 絹本軸装、個人蔵(7月)
№212 朝顔蜻蛉 15号(39.7×64㎝) 絹本、個人蔵(7月)
№213 朝顔蜻蛉 8号(45.5×37.5㎝) 絹本、個人蔵(7月)
№214 牡丹蝶図 6号 団扇形 絹本、個人蔵(8月)
№215 瓜花蜻蛉図 8号 団扇形 絹本、個人蔵(8月)
№216 二瓜蟷螂図 8号 団扇形 絹本(8月) 
№217 黄山図譜(十七) 雨後残雪 
          20号(73×45.1㎝) 絹本、個人蔵(9月)
№218 黄山図譜(十八) 紫気填谷(てんこく) 
          30号(72×86.4㎝) 絹本(9月)
№219 六月の屈斜路湖 
          20号(45.1×73㎝) 絹本、個人蔵(10月)  
№220 黄山図譜(十九) 黄山黎明 10号 絹本(10月)
№221 黄山図譜(二十) 黟(い)山清響
          80号(82×148.2㎝)絹本(12月) 
№222 牡丹 6号 団扇形 絹本裏金箔、個人蔵(12月)
           


№210 黄山図譜(十六) 谷深雲湧 
 50号(116.7×72.1㎝) 絹本


№213 朝顔蜻蛉 8号(45.5×37.5㎝) 絹本


  №217 黄山図譜(十七) 雨後残雪 
 20号(73×45.1㎝) 絹本


 №220 黄山図譜(十九) 黄山黎明 10号 絹本


№222 牡丹 6号 団扇形 絹本裏金箔

 続きは


日本画家花岡哲象の略歴    提供 アトリエ澄神洞