絹本を描く日本画家-花岡哲象 資料館1

 

  花岡哲象資料館   年譜及び作品資料を時間経過を追って掲載しています。
 
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   1950(0歳)~1976(26歳)
 
 1950(昭和25年)10月5日、花岡清人(きよと)・德枝(とくえ)の長男として長野県岡谷市に生まれる。
昭和27年妹和恵が生まれる。岡谷市立湊小学校、同南部中学校、県立諏訪清陵高等学校を卒業する。小学校から高等学校までの同期に花岡克行氏(洋画)、高等学校の同期に根岸芳郎氏(現代美術)がいる。

1969(昭和44)年4月、東京学芸大学特別教科教員養成(D類美術)過程入学。19歳。
大学は学生運動で騒然としており、3年間は内に籠り悶々として過ぎた。
    
            
 清人・德枝 結婚写真1994(昭和24)年5月15日

 1972(昭和47)年 21歳ー22歳

№0 ベアトリーチェ 28×21㎝ 紙
   №0 ベアトリーチェ 28×21㎝ 紙
卒業制作”わが悲しみの日に”連作
  №1 悲しみの少女 F50 ベニヤ板
  №2 今日からは 
――  二十二歳自画像 F50  ベニヤ板
  №3 追想  F50  ベニヤ板
  №4 わが悲しみの日に F50 ベニヤ板
  №5 見はてぬ夢 F50 ×3 ベニヤ板
  №6
 Adiou F50  ベニヤ板
 これらの連作のいくつかには
”I devote this work to my Beatrice”の文字が入っている。
――大学の4年になり私に春が来た。狂おしい夏が過ぎ、そして悲しみの秋が初めて絵を描くことを教えてくれた。
 
 「火の玉に脳中爆(や)かれし夏は過ぎ
     悲しみ浸す二十二の秋」平成27年3月詠
 
 

№2 今日からは ―― 二十二歳自画像 F50 ベニヤ板
 
 

№3 追想 F50 ベニヤ板 
 
№4 わが悲しみの日に F50 ベニヤ板
 
№6 Adiou F50 ベニヤ板
わが悲しみの日に 部分
 
 

 1973(昭和48)年 22歳ー23歳

 花マンダラ 試作 50号 ベニヤ板
花マンダラ 部分 
 
   
 
3月、東京学芸大学卒業。
 4月、同大学院美術教育専攻絵画第一講座に進学。
この1年は好評だった卒業制作の私的世界をぬけ、普遍的なものを得ようと外に出て様々なことを始める年となる。「人間のレベルの喜び悲しみを超えたい」と強く願っていた大学院時代。東洋思想、密教、自然食運動、東洋医学、中国武術等に惹かれる。
桐山靖雄師の観音慈恵会(後の阿含宗)、出井現兵子師の一楽庵(太極拳、形意拳、八卦掌等の中国武術)に入門する。武術や体術は後に多くを学び、生涯にわたるものとなる。
 
5月に卒業制作の連作のうち、№4 ”わが悲しみの日に” が新制作日本画春季展に初入選。
他にこれといった作品はなく、わずかに試作
  ”花マンダラ” 50号 ベニヤ板 が残るのみ。

大学キャンパスにて
 
 
朝稽古

大学キャンパスにて
 
大学キャンパスにて

 1974(昭和49)年 23歳ー24歳


№№7 中陰(バルド)を漂う彼女と彼の霊魂
 F50 ベニヤ板
   №7 中陰(バルド)を漂う彼女と彼の霊魂 F50 ベニヤ板
           新制作日本画春季展 入選(5月)
   №8 浮上する霊魂 F50  ベニヤ板
 
 夏休みにヨーロッパ1ヶ月旅行
    (イタリア、スイス、ドイツ、フランス、スペイン、
       イギリス)
 
 
ヴェルサイユ宮殿にて
 
マドリード闘牛場にて
 
ヴェルサイユ宮殿にて
11月に第1回個展(ギャラリー栃.東京銀座)  


 1975(昭和50)年 24歳ー25歳




№9 精霊の譜――処女霊招喚 F50 麻布



№10 精霊の譜Ⅱ――想 F50 麻布
3月、東京学芸大学大学院美術科教育専攻絵画第一講座修了。
   修士論文「創作活動の分析」
4月、同大学院美術科教育第一講座に進学。


 №9 精霊の譜―― 処女霊招喚 F50 麻布
           春季創画展 入選(5月)
 №10 精霊の譜―― 想 F50 麻布
            春季創画展 入選(5月)
 №11  入水する花たち パネル6枚作品  雲肌麻紙  
 №12  少女霊  F10 麻布      
 №13  少女   SM 板に麻布、個人蔵  
 №14  蓮華  F10 麻布     
 №15  百合と少女  F100 麻布      
 №16  百合少女之図  F100×2 麻布 
 №17  百合之図  変形20号×2 麻布

    10月、第2回個展(ギャラリー栃.東京銀座)
  私に2回目の大学院進学を許してくれた父母には、言葉に尽くせぬ感謝を捧げるしかない。   
この年に生涯の師となる山路晴峰師(後に新座観音神護院を開山、第一世)との御縁を賜る。師からはどこまでも澄んでゆく道を示され、以後の画業の指針となる。又、後の山路天酬伝灯大阿闍梨との御縁も生じ畏友として長い交誼が始まる。観音慈恵会は退会する。
 
  
山路晴峰 師
 
 
 №11  入水する花たち パネル6枚作品  雲肌麻紙

 1976(昭和51)年25歳ー26歳


 №18 冬池布袋草図Ⅰ  S50 絹本

 
№19 冬池布袋草図Ⅱ  S50 絹本 

 
 №24  浄炎霊動之図Ⅱ  85×85㎝ 絹本


  №25  浄炎霊動之図Ⅲ  170×170㎝ 絹本 


 №29  睡蓮  F8 絹本   


 質、量共に充実した作品を残せた年である。炎の連作は、山路晴峰師の御教示により、師の御護摩に題材をとらせていただいたものである。裏打の問題などはYさんにお世話になる。「人間のレベルの喜び悲しみを超えたい」という若い願いが、師の御力によって私の能力を超えた作品となった。才なき私の代表作といえるかと思う。

  №18 冬池布袋草図  S50 絹本
  №19 冬池布袋草図Ⅱ  S50 絹本 個人蔵 
  №20  炎(習作)  F6 絹本 個人蔵    
  №21  炎   F10 絹本 個人蔵  
  №22  冬池  F6 絹本     
  №23  浄炎霊動之図Ⅰ  85×85㎝ 絹本      
  №24  浄炎霊動之図Ⅱ  85×85㎝ 絹本 
     後に東京セントラル美術館日本画大賞展入選(昭和53年) 
          フランス美術賞展入選(賞候補、昭和56年)
  №25  浄炎霊動之図Ⅲ  170×170㎝ 絹本
  №26  浄炎霊動之図Ⅳ  170×170㎝ 絹本      
        10月に創画展入選
        卒業制作展にて大学買い上げ(昭和52年)
  №27  浄炎霊動之図Ⅴ  170×170㎝ 絹本  
  №28  池  SM 絹本 個人蔵     
  №29  睡蓮  F8 絹本      
  №30  蓮華心経  F6 麻布  個人蔵 
  №31  拳法衣自画像  F10 絹本
11月に第3回個展(ギャラリー栃.東京銀座)
  第3回個展


 
№26  浄炎霊動之図Ⅳ  170×170㎝ 絹本 



№27  浄炎霊動之図Ⅴ  170×170㎝ 絹本  





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日本画家花岡哲象の略歴 画家の詩    提供 アトリエ澄神洞
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