№153 黄山図譜(二) 始信峰銀花 50号(114×82.2㎝) 絹本裏銀箔 1989(平成元)年7月 38歳 |
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№162 黄山図譜(四) 光明頂旭日 60号(142×68.7㎝)
絹本 1990(平成2)年1月 39歳 作家蔵 |
№167 黄山図譜(六) 春山落暉 60号(144.8×64.9㎝) 絹本
1990(平成2)年3月 39歳 作家蔵
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№171 黄山図譜(七) 霧中始信峰 50号(116.4×82.2㎝) 絹本 1990(平成2)年7月 39歳 |
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№175 黄山図譜(八) 雨過ぎて霧起り雪残りて多少 60号(142×82.2㎝) 絹本 1990(平成2)年11月 40歳 作家蔵 |
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№178 黄山松 15号(64.2×39.6㎝) 絹本裏金箔 1991(平成3)年1月 40歳 個人蔵 |
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№179 黄山図譜(九) 四松、霧天に陽光を感ず 80号(145×64.9㎝) 絹本 1991(平成3)年3月 40歳 作家蔵 |
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美術雑誌「アート・トップ」の取材を受けながら制作し、同誌№124(1991年8.9月号)に掲載される。画商の渡辺勝真氏との御縁をもたらした作品として思い出深く、自身でも気に入って手放さず、長く自宅客間を飾ることになる。 |
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№182 黄山図譜(十) 蓬莱三島(一) 80号(145×64.9㎝) 絹本 1991(平成3)年7月 40歳 作家蔵
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№202 黄山図譜(十二) 明星煌きて吾が心を射る時 80号(145×65㎝) 絹本 1993(平成5)年1月 42歳 作家蔵 |
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№203 黄山図譜(十三) 雲海孤松 20号(45.1×73㎝) 絹本 1993(平成5)年3月 42歳 個人蔵 |
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№204 黄山図譜(十四) 朝陽は霧天に霞み、雫は松梢に光る 80号(145.5×65㎝) 絹本 1993(平成5)年2月 42歳 作家蔵 |
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全く下絵を作らずに描いた作品である。明らかに等伯の「松林図屛風」を意識したものであるが、梢に光る雫や霧中の白い太陽など今でもありありと思い出せる実景が基になっている。
思い出深い作品であり、澄神洞の定位置に掛かっている。 |
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№210 黄山図譜(十六) 谷深雲湧 50号(116.7×72.1㎝) 絹本 1993(平成5)年7月 42歳 個人蔵 |
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手放すつもりはなかった作品であるが、絵の運命によってある方の所有するところとなった。 |
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№217 黄山図譜(十七) 雨後残雪 20号(73×45.1㎝) 絹本 1993(平成5)年9月 42歳 個人蔵 |
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№220 黄山図譜(十九) 黄山黎明 10号(53×45.5㎝) 絹本 1993(平成5)年10月 43歳 個人蔵 |
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№221 黄山図譜(二十) 黟山清響 80号(82×148.2㎝) 絹本 1993(平成5)年12月 43歳 作家蔵 |
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№250 雪の獅子峰に座す白衣観音 23号(75.4×58㎝) 絹本 1995(平成7)年1月 44歳 作家蔵 |
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実際にその場に座ったことのある岩に、山路晴峰師を白衣観音として描いたものである。 |
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№251 黄山松(二) 8号(44.5×33㎝) 絹本
1995(平成7)年2月 44歳 個人蔵 |
№252 黄山図譜(二十一) 清旦蓮花峰
10号(40.8×51.7㎝) 絹本
1995(平成7)年2月 44歳 個人蔵 |
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№253 黄山図譜(二十二) 天海旭日 50号(80×115.2㎝) 絹本 1995(平成7)年3月 44歳 個人蔵 |
4回目の黄山旅行、山荘の屋上から教え子たちと眺めた正月の雲海である。自分でも気に入った作品となり、手放すことは全く考えていなかったが、絵の運命によって№210と同じ方の所有するところとなった。
描かれた作品は作家の手を離れて、それ自身の道をたどっていくのだろう。よい運命を祈るばかりである。 |
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№263 黄山図譜(二十三) 奇岩雲湧 13号(63.6×39.6㎝) 絹本 1995(平成7)年9月 44歳 個人蔵 |
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№292 雲海旭日 12号(39.5×64.5㎝) 絹本 1997(平成9)年2月 46歳 個人蔵 |
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№324 旭光、松樹に到る 12号(60.5×39.7㎝) 絹本軸装
1998(平成10)年4月 47歳 個人蔵
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№325 松迎旭暉 20号(45.5×73.5㎝) 絹本
1998(平成10)年4月 47歳 個人蔵
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№328 月下妙境 25号(86×50.5㎝) 絹本 1998(平成10)年5月 47歳 作家蔵 |
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黄山の実景の中に白衣観音として山路晴峰師を描いたものである。 |
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№329 黄山天都峰 30号(60×86㎝) 絹本 1998(平成10)年6月 47歳 作家蔵 |
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黄山の実景の中に蹲踞(そんきょ)の姿勢で印を組んだ自身の姿を描いたものである。 |
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№341 山龍渡海 20号(44×86㎝) 絹本
1998(平成10)年11月 48歳 個人蔵
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№343 旦明氷華 12号(57.8×40㎝) 絹本軸装 1999(平成11)年1月 48歳 個人蔵
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№347 雲海旭日 12号(39.5×64㎝) 絹本 1999(平成11)年3月 48歳 個人蔵 |
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№372 旭日洗心 12号(39.6×64.7㎝) 絹本 2000(平成12)年1月 49歳 個人蔵 |
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№373 雪峰求天 40号(118.3×43.8㎝) 絹本 2000(平成12)年2月 49歳 個人蔵 |
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近景は黄山の実景であるが、上方の屹立する山は古画へのあこがれである。 |
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№384 雲上之径 12号(39×63㎝) 絹本 2000(平成12)年7月 49歳 個人蔵 |
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№396 遠山落暉 12号(39.5×63.5㎝) 絹本 2000(平成12)年11月 50歳 作家蔵 |
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№436 流星天墜 35号(118.6×42.1㎝) 絹本
2001(平成13)年12月 51歳 作家蔵
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№437 流星天墜(二) 12号(64×32㎝) 絹本
2001(平成13)年12月 51歳 作家蔵
11月に獅子座流星群を見たことで3点の作品を描くことになった。 |
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№438 流星天墜(三) 12号(39.5×64㎝) 絹本 2002(平成14)年1月 51歳 個人蔵 |
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№439 月光雲海 12号(39.6×63.9㎝) 絹本 2002(平成14)年1月 51歳 個人蔵 |
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手放すことになったが自分でも気に入っている作品である。この絵はどんな運命をたどっていくのだろうか。 |
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№465 万松旭日 40号(99.6×61㎝) 絹本
2002(平成14)年11月 52歳 作家蔵 |
№477 雲海旭日 12号(62×38.3㎝) 絹本
2003(平成15)年4月 52歳 個人蔵 |
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№500 黄山旭日 60号(139.6×66.3㎝) 絹本
2004(平成16)年2月 53歳 作家蔵 |
№505 雲湧旭日 15号(73.3×38.2㎝) 絹本
2004(平成16)年3月 53歳 個人蔵 |
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№504 霧中旭日 12号(64×39.5㎝) 絹本 2004(平成16)年3月 53歳 個人蔵 |
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№553 黄山旭日 30号(60×86㎝) 絹本
2006(平成18)年7月 55歳 作家蔵 |
№564 月華黄山 12号(62×38.3㎝) 絹本
2007(平成19)年1月 56歳 作家蔵 |
№567 霧天松露 40号(99.5×60.8㎝) 絹本
2007(平成19)年3月 56歳 個人蔵
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№569 白龍星天 50号(115×71㎝) 絹本
2007(平成19)年5月 56歳 作家蔵
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№601 雨過顕青 50号(81×117㎝) 絹本 2009(平成21)年4月 58歳 個人蔵 |
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第6回黄山旅行を共にした画商のMさんの注文により描いたもので、印象に残った実景が基になっている。 |
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№602 霧天旭日 12号(39.5×64㎝) 絹本 2009(平成21)年4月 58歳 作家蔵 |
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№603 黄山佳松 6号(41×29㎝) 絹本 2009(平成21)年5月 58歳 作家蔵 |
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№604 黄山春夜 12号(39.7×64.6㎝) 絹本 2009(平成21)年5月 58歳 作家蔵 |
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№614 雨過返照 30号(60×86㎝) 絹本 2009(平成21)年12月 59歳 作家蔵 |
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№616 遠山落暉 12号(61×35㎝) 絹本 2009(平成21)年12月 59歳 作家蔵 |
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№692 凍松旭日――逝きし父に捧ぐ 40号(127.4×50㎝) 絹本 2015(平成27)年1月 64歳 作家蔵 |
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前年12月1日に他界した父清人の戒名は「嶺松院慈清亨通居士」。
清らかな霧氷を纏(まと)い 、神々しい旭日を迎える松に父の魂を重ね合わせて描いた。 |
「土塊(つちくれ)を渾身こめて持ち上ぐる 父逝く朝の初霜柱」 |
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№722 黄山凍天 12号(62×38.3㎝) 絹本 2017(平成29)年4月 66歳 作家蔵 |
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