絹本を描く日本画家-花岡哲象  澄神洞美術館 1,2,3室


 

        澄神洞美術館 (1ページ目)        


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 御挨拶
 御来館ありがとうございます。
当館は花岡哲象ホームページの中の自選美術館として、2019(令和元)年6月に開館いたしました。
「澄神洞」はアトリエの名称です。各テーマごとに解説文(詩、短歌等を含む)と代表作品を展示いたします。作品整理が終了した順に発表いたしますので、時々御高覧いただけましたら幸いです。
この中の1点でも皆様のお心に残る作品があれば、私の人生の日々は喜びだけでなく苦しみも又除くことの出来ない幸せだったのだと思います。 
御縁を賜りました全ての皆様と、作品を生む契機となった1度限りの事象の総てに心からの感謝を捧げます。
 (令和元年6月吉日 花岡哲象 記)
   「山陰(やまかげ)に秘かに咲ける桜(はな)一樹
   見られざりしも天は之(これ)知る」 (平成25年4月詠)
 
                          ※№は制作順に全作品につけられた作品ナンバーです。

 

  青春

№0 ベアトリーチェ  28×21㎝ 紙  1972(昭和47)年 21歳  作家蔵 
 
 






「光る春の海、寄せる白波
     人恋い初めし潮騒の朝」 
   №2 今日からは ―― 二十二歳自画像  50号 ベニヤ板  1972(昭和47)年10月 22歳  作家蔵  


 
 「火の玉に脳中爆(や)かれし夏は過ぎ
    悲しみ浸す二十二の秋」 
            (平成27年3月詠)  
卒業制作“わが悲しみの日に”(連作6点)のうち1点。ベニヤ板に胡粉、ボンドで下地を作り、デザイン用水性ペンによる線描にベンガラ等を擦りこんで彩色したもの。線描はベン・ニコルソンの絵に触発されている。
№3 追想          50号 ベニヤ板  1972(昭和47)年 22歳  作家蔵 






№2と同様、連作の1点。
この連作は「愛別離苦」の痛みと引き替えに作品を授かるという、計画できない最初の出来事となった。
“I devote this work to my Beatrice” (№2・3共に画中に絵の要素としてこの文字が記されている。)
 


№18 冬池布袋草図 Ⅰ      50号 絹本  1976(昭和51)年 25歳  所在不明 
 
絹本による作品の第1作といえるものである。
2回目の大学院の2年目、題材は大学キャンパス内の冬枯れの池の布袋葵(ホテイソウ)。寒い中を何度も写生に通ったことを覚えている。
技法は複雑である。
銀箔を押してから硫黄で変色させた下地を布でこすって剥落させ、裏から岩絵の具を滲み出させた上に描いている。絹本第1作目にしてこのような発想がどうして生まれたのかは不明であるが、青春の閃きといえるかもしれない。
  №19 冬池布袋草図 Ⅱ      50号 絹本  1976(昭和51)年 25歳  作家蔵 

 
   №38 煌 ―― 青(小)      15号(66×66㎝) 絹本  1977(昭和52)年6月 26歳  作家蔵




 
山路晴峰師(資料館を参照)の御教示により蜘蛛の巣を題材にした作品である。
写生は大学の後輩である友人のIさん宅でさせていただいた。何点かの連作を描いたが、最初のこの絵以上のものは出来なかった。
 



 

  

1976(昭和51)年の連作から始まる炎の絵は、山路晴峰師(資料館参照)の御教示により、師の御護摩に題材をとらせていただいたものである。密教に惹かれて「人間のレベルの喜び悲しみを超えたい」と願った若さが、師の類(たぐい)まれな霊力の場に在ることで私の能力を超える作品を描かせたのだと思う。時を経てから後も時折描くことになった。


№24 浄炎霊動之図Ⅱ  30号(85×85㎝) 絹本  1976(昭和51)年 25歳  作家蔵

 

 






1978年12月
第1回東京セントラル美術館日本画大賞展入選
1981年3月              
フランス美術賞展入選 (賞候補)
№25 浄炎霊動之図Ⅲ  120号(170×170㎝) 絹本  1976(昭和51)年 25歳  作家蔵






 
 №26 浄炎霊動之図Ⅳ  120号(170×170㎝) 絹本  1976(昭和51)年 25歳  作家蔵








1976年10月 創画展入選 


    
 
№32 霊動する火性(かしょう)   50号(114×114㎝) 絹本  1977(昭和52)年5月 26歳  作家蔵 


 







1977年5月 春季創画展入選 
   №124 赫炎   50号(116.7×112.2㎝) 絹本  1987(昭和62)年7月 36歳  市立岡谷美術考古館蔵  (2015年6月寄贈)







 前作の炎から10年を経て描いたものである。
下絵は№23「浄炎霊動之図Ⅰ」(1976年)を基とし、不満な点を直してより大きな作品とした。
この作品は後に岡谷美術考古館の特別企画展「炎の力――恵みと脅威の表現」(令和元年6月20日~8月16日)のポスター、チラシに用いられた。


  
          №126 火生   80号 絹本  1987(昭和62)年12月 37歳  作家蔵 


 




    №508 火性   30号(86×53.5㎝) 絹本  2004(平成16)年5月 53歳  私立岡谷美術考古館蔵  (2014年7月寄贈)






 
父と妻の全面的な協力により、澄神洞の庭で3日間、夜に火を焚いて取材したものである。83歳の父にただ感謝するばかりであった。
 ・・・炎は重力からのがれて舞い上がる。
 一刻も留まることのない軽やかな演舞であり、如何なる形にも安住することのない存在である。
 ・・・
 肉体が水であるなら吾が心は炎でありたい。
 天をめざして舞い上がる炎でありたい。
 絵として炎に取り組む際、自戒すべきはただ一つ、外から観察した視点で描かぬことである。
 吾が生命、この心身の純粋な舞いとして描きたい。
 ・・・
 勿論、水の世界と手を取り合ってゆくのである。    平成16年秋記「火水合一」より一部抜粋
                         (「月間美術」№352及び「月間Hado」№145掲載)
   

 

  

炎の連作に対して水を試みたが、これは十分な結果を残すことが出来なかった。
後に水面を主とした風景画という形で水の魅力に取り組むことになる。


            №66 瀑 Ⅰ  40号(98.8×98.8㎝) 絹本  1980(昭和55)年3月 29歳  作家蔵  
 
 







妻との御縁が生じた頃の作品である。
一部、彼女の手が入っている。

 №67 瀑 Ⅱ  40号(98.8×98.8㎝) 絹本  1980(昭和55)年4月 29歳  作家蔵 

№69 水勢  100号(168×168㎝) 絹本  1980(昭和55)年7月 29歳  作家蔵 





 

№70 流れ往くものたち  100号(168×168㎝) 絹本  1980(昭和55)年9月 29歳  作家蔵 


 
 №71 青瀑   25号(84×84㎝) 絹本  1980(昭和55)年11月 30歳  作家蔵  

 


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